稲城市

日本の伝統、文化、歴史を五感で感じ、体感する

癒しを感じ、日本の原風景に出会える場所は、東京都稲城(いなぎ)市です。東京・新宿からわずか30分。都心に近い里山が稲城市です。町には、梨畑やぶどう畑の農村の風景があちこちに見られます。ここには、歴史的遺産が数多くあり、訪れる人々を古の世界に誘ってくれることでしょう。

 

目次

隠れた宝、穴澤天神社

京王よみうりランド駅から徒歩5分、平安時代から続く歴史遺産、穴澤天神社があります。
ここは学問の神様、菅原道真公を祀る神社です。稲城市で最も古い歴史と文化財を誇るこの神社は、小高い丘の中腹に位置し、その姿は時を超えて変わらぬ威厳を保っています。
受験生や学問を志す人々が、場所に深い敬意を抱き、学業成就や受験合格を願って祈りを捧げます。1694年、江戸時代に再建された美しい木造の社殿は訪れる人々に古の日本の風景を思い起こさせてくれることでしょう。神社の丘の下には静かに湧き出る天然の湧き水があり、この水を日常の生活に利用しています。
毎年8月25日近くの日曜日には、文化財として指定されている獅子舞が神社の境内で披露されます。五穀豊穣や厄除けを祈願する三頭の獅子と天狗によって舞われる勇壮な舞は、見る者を圧倒します。
神社の丘の下には静かに湧き出る天然の湧き水があり、市民たちはこの水を日常の生活に利用しています。
お茶を淹れるための清らかな水として、多くの家庭で重宝されています。
歴史と自然、そして信仰のパワーが融合した特別な場所です。ここを訪れることで、古の日本の風景と心を感じることができるでしょう。
出典:https://tokyo.jinja.link/anazawatenjinja.html

 

歴史と神秘の川渡りの場 大麻止乃豆乃天神社

R南武線「南多摩駅」より約徒歩約7分で、そびえ立つ大麻止乃豆乃天神社が見えてきます。
標高70mの天神山の中腹に鎮座し、北に多摩川の流れを臨む景勝地です。大麻止乃豆乃天神社の名前には、古の時代からこの場所が多摩川の渡河点として、川を渡るための地点重要な役割を果たしてきたことから「大きく丸い平地にある船着き場」という意味が込められています。
古代からこの地域は交通の要所であり、川を越えるための船着き場として人々の生活や物流を支えてきました。この場所が古くから人々の生活の中心であり続けたことを物語っています。

神社の起源は平安時代に遡ります。石段を一歩一歩登りながら、緑に包まれた参道を進むと、やがて目の前に荘厳な社殿が姿を現します。その瞬間、まるで異世界に足を踏み入れたかのような感覚に陥ることでしょう。社殿は天神山の中腹に位置し、多摩川を一望する絶景の地に建っている社殿は、1867年、幕末の頃に建てられました。職人たちの技術が頂点に達した時期の彫刻が見事に施されています。

神聖な空気が漂うこの場所は日常の喧騒から解放されて心が浄化されるような感覚を得ることができるでしょう。

境内には、津島神社、白山神社、神明神社、稲荷神社、秋葉神社といった多くの境内社が祀られており、それぞれが独自の歴史と祭礼を持っています。
7月中旬の天王様祭礼、9月1日の風祭り、10月上旬の秋の例大祭等があり、それぞれに神事が行われます。
特に10月の第一土曜日に行なわれる秋の例大祭の宵宮祭では、提灯が灯り、境内は幻想的な雰囲気に包まれます。

隣接する円照寺(えんしょうじ)もまた、静寂の中に佇む美しい建物であり、この地の魅力を一層引き立てています。その神秘的な空間と歴史の深淵に触れてみてください。

ドウロクジンの石に宿る日本の守護精神「塞の神行事」

寒さの中で静かに息づく伝統行事「塞の神行事」があります。庶民の中に根付いている伝統行事の物語に触れることで、日本の深層に触れることができるでしょう。

ドウロクジンの石に宿る日本の守護精神 「塞(さい)の神行事」
寒さの中で静かに息づく伝統行事「塞の神行事」があります。庶民の中に根付いている伝統行事の物語に触れることで、日本の深層に触れることができるでしょう。

正月には、年の神様である年神様が各家庭を訪れて、家族一人一人に1歳分の年齢と幸せをもたらしてくれるという言い伝えがあります。年神様を新年にお迎えするために、門松、しめ飾り、鏡餅といった飾りを準備し、新年を祝います。元日から正月が終わる日までの期間の「松の内」が開けると、正月飾りを焼くことによって炎と共に見送る伝統行事「塞の神行事」が各地で行われます。

稲城市では「塞の神行事」が各地で行われています。

かつては、正月飾りが外される頃に地域の子どもたちは竹や木、藁を集めて小屋を作りをし、小屋の中に道陸神(ドウロクジン)の石を祀り、その周りを正月飾りで飾っていました。塞の神行事には、道陸神の石が小屋の中に祀られ、行事が終わった後に再び埋められることで、地域の守護を象徴していました。子どもたちは小屋に数日間小屋に寝泊まりし、他の地域からの侵入者を防ぐために見張っていたそうです。

道陸神とは、村の入口や道端に祀られる神のこと。旅の安全や村の境界を守る役割を持っています。特に疫病や悪霊を防ぐとされています。

この守りの時間が終わる1月14日か15日に小屋を燃やす儀式が行われます。燃え上がる火にマユ玉団子や餅をかざして焼き、その熱を無病息災の祈りとともに食します。

現在は子どもたちが寝泊まりする小屋づくりはなくなりましたが、かつての習慣が形を変えながらも継承され、地域ごとに異なる風景を描き出しています。地域の人々の生活と心の中に根付いた重要な文化遺産です。


古い石碑が物語る古の暮らし

旧道沿いや神社寺院の境内には、中世から近世にかけて造られた石でできた碑が数多く残っています。

石造物は色々な種類があり、馬頭観音(ばとうかんぜおん)塔, 庚申(こうしん)塔、板碑(いたび)、地蔵菩薩塔、道標、供養塔、記念碑等があります。石碑に込められた古の暮らしに思いをはせることができるでしょう。

馬頭観音塔は、稲城市内に45基現存しており、中でも矢野口の渡船場に近い旧道沿いに数多く残っています。JR南武線の矢野口駅から歩きながら探しながら江戸時代の重要な交通の要所だった「江戸道」に思いをはせながら古人の歴史を感じる時間を過ごしてみませんか。

江戸時代の農村で多くの馬が農作業や物資の運搬に使われ、当時の人々にとっては馬は大切な労働力でした。そのため馬が死んだ時や安全を願い、馬の顔が刻まれた馬頭観音塔が建てられました。馬頭観音塔には馬の顔が刻まれています。甲州街道からこの渡しを通って町田、小野路方面へ続く道は「江戸道」と呼ばれ、重要な交通の要所でした。

矢野口を歩けば、いくつかの庚申塔にも出会えます。
中国に起源を持つ庚申信仰は、日本では独自に進化し、様々なご利益があるとされて信仰されるようになりました。江戸時代には、庚申の日に庚申様を祀る神社が多くの人で賑わいました。

また、江戸時代に盛んになった庚申講は、60日ごとにめぐってくる庚申の日に、講中の人たちが当番の家に集まり、一定の儀式のあと夜を徹して飲食を共にし、夜明けと共に解散するという庶民信仰でした。この庚申講の継続を記念して、供養のために講中の人々によって庚申塔が造立されるようになり、今も見ることができます。
庚申塔を巡ってみましょう。江戸の人々の暮らしに思いをはせながら、庚申塔を巡ってみましょう。江戸時代の庶民の暮らしぶりが見えてくるかもしれません。

 

大丸用水

稲城市を流れる農業用の用水、大丸用水の歴史は古く、古文書によると江戸時代初期(17世紀始め)頃に遡ります。多摩川から取水して川崎市登戸まで流れる用水で、江戸時代以降、稲城市域の村々及び下流の村々を潤す大変重要な農業用水として維持・管理され、300年以上にわたり稲作や梨の育成に大切な役割を果たしてきました。JR南武線の南多摩駅からすぐのところに、大丸親水公園があり、そこから水辺の風景が広がります。用水脇の小径には、季節ごとに美しい花が咲き、訪れる人を楽しませてくれます。
JR南武線南多摩駅、稲城長沼駅間の約3㎞が見どころです。

まとめ

東京都でありながら、都会の喧騒とは別ののどかな景色が広がる稲城市で、昔の人々の暮らしに思いをはせながら歴史と文化にふれる旅をしてみてください。

参考リンク