柔らかい筆を用い、絵と文字の融合体で表現した作品である。この作品は、最初に蝶を書いてから2年の歳月をかけ、彼の思いと技術を駆使し、ようやく完成した作品である。各テーマを決め、デザインをする、これに一番時間を費やする。蝶の絵のように見えるが、蝶という漢字が読み取れる。墨に銀泥を加えることで、蝶のしなやかさや自由に動き羽ばたく様子が表現された。
書とは書くことで文字の美しさを表そうとする東洋の造形芸術である。漆黒の中に命の模様を映す彼の書は、自然の摂理にのっとって書かれている。最初は、筆に墨がたっぷり含まれている。そして、書くにつれだんだん墨がなくなっていく、墨をつける。その繰り返しである。
Art
蝶のしなやかさや自由に動き羽ばたく様子を表現
Artist
書道への道、旅路と革新
永山 玳潤
4歳から書道を習い始める。22歳で免状と雅号【玳潤】を取得。
書道家・宮下寛昇氏に師事し、プロ書道家としての活動が本格化。
伝統を重んじた本格派書道を貫きつつ、築かれた堅固な土台の上に新しい感性を積み上げることを大切にし、革新的で独創的な作品を生み出している。
日本人固有の美について、「書」という方法で表現し続ける。
Art Style
本質を紡ぐ筆遣い
書道
龍は龍らしく蝶は蝶らしく書く。
それは、永山玳潤がその人らしさやその物らしさなど、あらゆる物事の本質に切り込んでいくような字を書くことを大切にしているからに他ならない。よく聞き、よく感じ、そして強い想いをもって全身で表現している。字を通して自分と向き合う機会が生まれ、その人の人生が拓かれていくことが最上の喜びだと永山玳潤はいう。ひとつひとつの出会いを何よりも大切にし、その関係その瞬間でのみ生まれ得る字を「静」「動」の両面から彼は、創り続けている。築かれた堅固な土台の上に新しい感性を積み上げることを大切にし掟とその破り方の両方を極限まで追求し、次世代の書道を創っていきたいと考えている。その先で、日本の誇る書道という文化をもっともっと世界中へ伝え広げていくために、作品を生み出している。
Roots
日本の筆跡芸術の起源
書くことで文字の美しさを表そうとする東洋の造形芸術である。日本には太古の時代に中国より伝来した。6世紀から7世紀頃、日本に仏教が伝来し、多くの人が写経(仏教の経典を書き写すこと)を行うようになり、書道が広まった。その後、漢字と日本文字の融合により、書道は日本独自の道を歩む。8世紀末(平安時代の初め)には、美しい文字を書く能筆家として、嵯峨天皇・空海・橘逸勢(たちばなのはやなり)の3人の名が残され「三筆(さんぴつ)」と呼ばれている。また、小野道風(おののみちがぜ)・藤原佐理(ふじわらの すけまさ)・藤原行成(ふじわらのゆきなり)の3人が「三蹟(さんせき)」と呼ばれ、能書家として高く評価されている。こうして、日本の書道が芸術として確立されていった。