山形県の酒田地方で生産されていた船箪笥の帳箱 (船頭が一番大切にしていた金庫、書類や金銭などの大切なものを入れる箱) である。 特徴的なのは、扉が片側だけ左にズレて外れることである。 鍵は4本で、扱いやすく、 たっぷり物が入る。右扉に小銭を入れる銭箱(小銭を収納)、左扉に桐の二重箱(気密性があるため水の侵入を防ぎ重要な書類を守る) が入っている。廻船問屋(江戸時代から明治時代にかけて、 商船を対象として様々な業務を行った問屋)が、 一番大切にしていたのが帳箱である。江戸時代は船から降ろさず停泊するときに宿に運び入れていた。 当時は、この帳箱のレベルの高さが商いの成功者としての証となるため競って職人に作らせた。「船箪笥」は、江戸時代から明治時代にかけて日本海側の物流を支えた「北前船」で貴重品を守るために金庫として使われてきた。 世界でも類を見ない強さと美しさを兼ね備えた機能美が魅力である。 「船箪笥」は、重量にも関わらず海難事故があっても壊れたり沈んだりすることなく、中のものを守り、水にも浮く気密性と機能で守られている。そして、複雑な構造は、誰もが容易に開けることはできないよう錠前とカラクリで守られている。百年の時を超え、 当時の製法を受け継ぎ、 材料から工法全てを江戸時代から明治にかけて造られていた 「船箪笥」 を当時のままに蘇らせた。
Art
片側だけ左にズレて外れる扉が特徴的
Artist
船箪笥一筋、「匠工房」の2代目
村田 浩史
自動車メーカーで7年間、整備士として勤務。
全国に残る古い船箪笥を訪ね、文献を調べ、7年の歳月をかけ船箪笥を復活させた勝木憲二郎氏に出会い、船箪笥に魅せられる。
勝木憲二郎が設立した伝統製法で船箪笥を製造する「匠工房」に入社。以来、船箪笥一筋に取り組む。
2015年「匠工房」の2代目に就任。
Art Style
伝統製法で「船箪笥」を現代に蘇らせる
日本の家具のルーツともいえる「船箪笥」を一作一作すべて手作りで、生地・金具・漆を伝統製法で製作している。1年に30本程度しか作れない。工房は二代目村田浩史(金具師)を中心に、木地師と漆塗師の5人が工程を分担し、約4~7ヶ月の時間をかけて製作している。
「船は沈むが箪笥は浮く」船箪笥に課せられる条件は2つある。第一は、海に浮く程の気密性があること。船箪笥に収納されたのは、命と同じくらい大切な船の往来手形・書付書・仕切書・印鑑・お金などの重要品だったため、万が一海難事故などに遭った場合は船と共に沈まぬよう、真っ先に海に投げ入れられた。故に中の物を失うことなく漂流する、高い気密性が必須である。第二は複雑な構造になっており、誰でもが容易に開けることはできないよう錠前で守られていることである。海難事故に遭った場合、船箪笥は広い海洋を単身で航海することになる。それが誰かに拾われた時、中の重要品が悪用されることを防ぐ必要があったからである。
これらの条件を満たした伝統製法での「船箪笥」製造を今に蘇らせたのが村田浩史が代表を務める「匠工芸」である。
Roots
職人達の知恵と技を結集した日本独自の形態
「船箪笥」とは、江戸中期から明治末期にかけて日本海を往来した「北前船」に積まれ、必需品と呼ばれるほど、多くの船乗り達が買い求めた、精巧で緻密な箪笥のことである。
「北前船」の発展は、大阪と北海道(当時は蝦夷地)を結ぶ西廻り航路が確立されたことに端を発する。あらゆる物資が「北前船」によって日本各地に運ばれるようになる。当時は、情報の伝達にはまだまだ時間差があり、その時間差を利用して売買を行い、莫大な利益をあげた。
「北前船」登場初期の頃は、越前の河野浦をはじめとした多くの北陸の廻船が近江商人の「荷所船」として活躍してた。しかし、江戸の後期にもなると自分たちで物を売買する「買積み商い」を開始し、「買積船」として発展していく。